皆さん、こんにちは、モザンビークのいのちをつなぐ会・代表の榎本恵です。
当会はアフリカ南東部のモザンビーク共和国北部カーボデルガド州ペンバのスラム、ナティティ地区に事務局を構え活動している団体です。
足かけ3年。ナティティ地区の青年有志や職人さんと一緒に、スラムの学舎・寺子屋の建築をコツコツと行っており、2015年からKDDI財団さまから助成いただいたパソコン教室、そしてギター一本で音楽教室を開始しています。
寺子屋の教室は青年層がメインですが、事務局には毎日のように近所の子供たちがやって来、お絵かきや工作、算数、怪我の手当等、何でも教えています。
毎日の木炭での料理、水の確保(月に2度ほど水道から水が出ます)、子供たちとの時間、青年有志への勉強の指導と、日本で仕事していた頃の5倍速で毎日が過ぎていっているように感じる、ナティティの暮らし。
4月は日本のNPO法人道普請人(みちぶしんびと)さんの視察やタンザニア出張の予定があったのですが、2月から足の甲に疥癬(ヒゼンダニ)が住み着き、モザンビークで手に入る薬をあれこれと試した結果、足の甲が化膿。疥癬も治らぬまま、足を引きずりながら歩いていたので、どうなることやらと心配していたのですが、日本から送られてきたスミスリンローションで完治!無事に4月の活動を元気いっぱいに実施することができました。
視察に来られたNPO法人道普請人さんは、これまで世界25カ国で土嚢袋を使った道直し等の活動を行っています。 その理事長である京都大学の木村教授と酒井さんがわざわざペンバまで来てくださいました。寺子屋視察の他、ペンパから車で3,4時間離れたとことにある、当会の農村地区での活動拠点、キサンガ地区まで足を延ばしてもらい、道直しが必要な道路と、当会のトイレ、井戸の設置活動も見ていただきました。
キサンガ地区は1本しかない主要道路が雨期になると崩壊し、車両が通れなくなるため、日々の仕事の他、急病人が出たときに大きな病院に運ぶことも出来なくなります。ぜひとも、住民と一緒に土嚢袋で道直しを!
当会ではキサンガ地区で住民の自立を目指す職業訓練センター(木工・鉄工)の開設も計画しています。ここで道直しの訓練も同時に行えるようになれば、と夢は広がります。
そして、NPO法人道普請人さんの視察が完了した3日後には、寺子屋の音楽教室で使用する楽器を調達するためタンザニア出張。
タンザニアの都・ダルエスサラムは、当会事務局のあるペンバの空港から僅か1時間の距離なのですが(ペンバからモザンビークの首都マプトまでは飛行機で2時間半)まだ雨期が続いていました。赤道付近の国になると雨期が2度ある気候になり、アフリカの広さと多様さを学べます。
ところで、タンザニアの首都は、ダルエスサラムと思いがちですが1973年に法律上の首都はダルエスサラムから内陸部のドドマに移っています。
ダルエスサラムの空港に到着後、そのまま2時間北上し、バガモヨへ。伝統的な芸術を教える芸術大学を抱えるバガモヨは奴隷の輸出港として19世紀に発展を遂げ、ドイツ領東アフリカ成立時には首都となった町です。
のどかで美しい海を誇る町ですが、海でのんびりする暇もなく、太鼓工房へ。職人さん一押しの太鼓を購入し、ゴゴ族の伝統音楽を今に伝える音楽一家、Zawose(ザウォセ)家を訪ねました。七色の声を持つタンザニアの巨匠、今は亡きHukwe Ubi Zawose(フクウェ・ウビ・ザウォセ)のビッグファミリーがタンザニアの伝統的な音楽を今に伝えています。Zawoseさんお手製のカリンバを購入し、カリンバのレッスンもつけてもらいました。ちなみにZawoseさんお手製のカリンバ。調べてみると、日本では現地の10倍ほどの値段で取引されています。
何かとトラブルが多く、眉間にしわを寄せてしまう時間が多いペンバのスラムとは一変。ダルエスサラムでは、親切で礼儀正しい人たちと接することが多く、快適な時間をすごすことができました。ただ、ダルエスサラムの中心地はインド人やパキスタン人が多く味付けも香辛料がきつく、野菜がほとんどない鶏攻めの食堂ばかり。毎日こんなものを食べていたら高脂血症になるのでは?と、余計な心配もしてしまいました。
5月はDIRE(モザンビークの1年の居住許可証)の書類整備のため日本に一時帰国します。寺子屋での音楽教室も設備を増やし続行するため、私がいなくてどこまで円滑に活動ができるのか。現地の青年有志にとって責任重大。挑戦の月にもなります。
news0425_2016